隠れキリシタン
珍しくリクエストがあったので数日前にチラっと書いた隠れキリシタンについて。
隠れキリシタンって今でもおるそうです。
オイラは寡聞にして知りませんでした。
てっきり明治維新の時におらんようになってると思っておりました。
どういうコトかというと、
明治維新の時(多少時期のズレはあります)
どんな宗教を信じても良いということになって
外国から本場のキリスト教の人らが来ました。
んで隠れてキリスト教を信仰してた人らも何人かはそれに合流しました。
その事もキリスト教史上、大事件だったらしいです。
そりゃそうです。
250年以上も神父も牧師もおらずに信仰してた訳ですから。
多分、本場のキリスト教徒もメッチャ感動したと思います。
ですが、それに合流しなかった人らもいます。
何故かってーと、隠れて信仰してたもんで
本場のやり方とは全然違うようになってました。
隠れるために、キリストさんを神棚に祭ってみたりしてたそうです。
添付画像は自分へのお土産ですが、観音様やのに後頭部に十字架が彫ってあります。
相方は帰ってきてコレを見ながら
『コレ、ホンマいるかぁ?』
と呟いてました。
閑話休題。
洗礼につかう聖水とかも独自の方法で作ってたりしたのを
(聖水って神父さんや牧師さんが
『これは聖水!!』ってゆーたら聖水になるらしいですが、
誰もおらんし、自分らで決めたわき水を聖水にしてたのね)
本場の人らは
『アカンアカン、俺らがちょっと目を離した隙に、自分らだいぶ間違ってるって。
本場のやり方はこうやって!!』
てなコトを言います。
素直な人らはそれに従ったんですが、中には
『なんか本場の人の言うコトって、オレらが思ってるんとちゃうな〜。
神棚捨てろって言われても、
お爺さんもそのまたお爺さんもこのやり方やってんし
今更、色々言われてもピンとこんわ〜。
もういいですわ、お宅らはお宅らでやって下さい。
僕らは僕らのやり方で信仰していきますわ』
という人もおったそうです。
まあそりゃそうです。
そりゃ250年も放っとかれたらそうなります。
という訳で、世界にも例のない独自のキリスト信仰になって
長崎や佐賀の一部では
現在でも人数は少なくはなってますが、そのまま継続してるそうです。
オイラは一応浄土真宗西本願寺派ですが、あまり信仰はありません。
でも信仰って色々あるのね。
そりゃ世界中で揉める筈ですわ。
追伸
リクエストに応えて、急いでアップしたから話として荒いなぁ。
まあ普段も普段やけど。